【し捏ねる】し-こ-ねる

人生には挫りがいる。青春の時に、し損なった野望、子供時代に愚かにも、し討った恥ずかしい瑣事。結婚前後にして遣った契約。人間関係は今生の別れにならない限り、相互に作用しているものだし、死別したとて天地の距離だけ作用が続くものである。

し損なう、という語尾動詞は、動詞と連結させて活用されてきた。渡し損なう、埋め損なう、忘れ損なう、など。すなわち、名詞としても流通している。書き損じ、信じ損、読み損て。人生で後悔する行為が如何したって多く発生するものだから、活用例も半端なく増殖する。

後悔を宥和する方法が、泣くことであると私は思う。涙には緊張をほぐす効果があるとされる。泣くには想起と構想が必要で、後悔ではその両者が興奮なしに起きる。つまり、し損なった、と思い得るには、行為した記憶を捏ねる必要がある。捏ね繰り回して初めて、その体験から意味を抽出できるのだ。

今朝も私は常温の水を飲む。珈琲杯把に入れ得る成分は決まっているため、洗浄は滅多にしない。今日は日曜、礼拝日だ。今、書斎で今週の記憶を整理しているが、後悔を淹れ得る成分が摘み取れない。どうやら私の今週は、生地を醗酵し捏ねた1週間だったことになる。血の味がないも同然の液体で、盃を満たして過ごせた1週間だったわけだ。

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