【印降】いんこう

まとめた考えが広まること

皆々様。思想を信じるに足らないことを証明しよう。考えをまとめたものが考えたことですから、思想 thought というのです。考えは降ってくることもあるし、捻り出すこともありますし、つなげて足したり消してみたりして捏ねくり出すこともします。ですから、思想は人間の脳で考えだしたものに過ぎないのであります。

現在では無償で考えが出回るようになり、日々考え方や考えをたくさん受けつつ流しつつ、反応して書いたり、反応しないで無視したり、反応し過ぎないように悠景を楽しむのでありましょう。形式は不問でありまして、音楽・映画・配信・活字・画欄・投呟・数理・手順・配合など、記号の別はないのであります。

では、まとめた考えのどれかを信じることなどありうるでしょうか。どうして特定の考えをいつまでも信じられるでしょうか。考えた人を信じたとて、いづれは信じるに足らざることも考えるでしょうに。人間ですもの、完璧に信じるに足る存在ではありえないのです。なぜなら、造物主は人間を神と等しくないように創ったからであります。

以上から、思想にいかなる歴史性があったとて、人間が考えた産物に過ぎないのでありまして、SNSで流通受信する文画映像と同じであります。もう一度言います、思想書と竹読は同じであります。昔に比して説明の種類も娯楽性も芸術性も形式も様々考えてきた人類史であります。これからも様々に人間は考えつき、まとめ、受け取り、また考えるのです、しかし、仮に信じたとて、永遠に信じうるのは人間を造った主在であると考える方が、圧倒無論で善いのです。

【雰拝】ふんはい

先人の文献から堯山のことを習得玩味するに止めること

言葉と光、どちらが人間に扱いやすいかといえば、言葉である。というのは、火を扱えた人種は滅んだからである。世界が分けられて造られたとすると、世界を想像するのこそが人間に付与された恵性であるので、世界を分けることは罪の根源ではないか。火で木を分けたうちはまだしも、人を分けたから、滅びただろうのである。

翻って、言葉を300年前の3万倍使っているらしい現代人である。分けに分けて呪われている。光が不可分であることを証明したとて、光すなわち物質ならいくら分けても分けることにならないと証して物事を作りに創る一方で、言葉の原子性を証明するには成功していない。意味は文脈共通性がありそうだし、文脈は集合無意識で共有されている気がするし、集合無意識は言葉を通して知恵を供給される保護幕である気もする。

こんな分けてはならない言葉を使って編みに網み込んだ文献が積まれている。紡ぐ人は健康であったろうし楽しめたろう。考える人は編んで苦労したろう。見晴る人は描き切るまで引きで見たために、描き切った後に己を見失ったろう。回復ないし恢復しなくてはならない。分けた人は呪われたろう、殆どの名前が残っていないのだろうから。世界を創造するのは造物主の仕事であるから、作る上では神を神とすることが肝要で、神になろうとしたら亡びる。神のようにある、というのは最高の態度技法の詩的標語であり、達成不可能な水準である。

でも、人間は存在で分けている。空間である。人がいるなら、それだけでその空間を分けている。人間は空間を分けて良いのであるし、空間は人間がいくらでも分けていいのである。今日は雨天で霰も降った。両腕で空を切って雨乞いをしてみた。自由だった。余我の格好をとってみた。自由を受信したみたいだった。空間を作る自由を満喫しつつ、先人の文献から大いに受学する日和の休日を、別欄に設えた金座椅子で微睡みながら能歩本したい。

【俳昼】はいちゅう

思いついたことをメモしながら歩くこと

文化から免れて生きることが難しくなったのは、文化で耕し続けなくてはならない時代になったからである。中世以前は、聖書にただ聞き従って生きるので十分だった。聖書を知らなくても、知らないままに自由に暮らせた。ただ、聖書は記号的であるため、意味が把りにくいうえ、一意に定まりにくいことを、ダヴィンチ以降ニーチェにかけてから、欧州は痛むほど知ることになった。その余りの象徴群集が有無を言わさぬ暗号性をあらわにしてしまえるため、これから文化の意味や役割が、大きく変転すると思う。最高の価値が転覆し、辺境の文化が珍重される。というのは、記号の解読表を残した哲学書に沿って生成知能が象徴文化の文脈暗号を解読することなど、数通り生成するのでさえ容易だからである。

有名なところでは、ゴールドベルク変奏曲がマタイ福音書と対応関係にあることである。ベルクは山である。今でさえ変奏曲だが、移り変わりであると読むと、山々の四季の一周、すなわち聖書の文脈から言っても、ある福音書の始まりと終わりの繰り返し、と読むことができる。実際、アリアがマタイ4章に、最後まで行った後のクオドリべがマタイ1章に、最終アリアがマタイ4:11までで終わる。クオドリべとはクワッド(4つの)ブリーべ(聖書)であることや、クオドリべのエンドロール感も、納得のいく出来で、バッハの音楽性に人為作為性が欠片も無く思えるのは、バッハの全曲が聖書の記号翻訳という手法のみによって成り立っていたことによる。人間性を排し、聖書を器官で響かせるための讃美歌なのである。

俳句という言葉にも、似た記号的意味がある。芭蕉は歩いて詠んだわけだが、能の古歌のように「〜のぉ〜」という「の接性」を徹排したゆえに、徘徊の徘からノを排して俳句と称したのである。もちろん、詩であり、すなわち人間性を排すのであるから、俳なのである。また、座り屈んだ体躯の意だという包構に、言葉の出口である口を内蔵したのだから句なのである。つまり、バッハの作曲法は、俳句性があり、いな、逆に、俳句はバッハの作法を借景した文化だと言っていいだろう。

ポアンカレが歩きながら考えた理由が、なぜカントがケーニヒスベルクの橋を毎日定時に歩いていたのに飽きなかったか、を現地を歩いて考えていたら理由がわかったからだそうで、その視野を科学四書に残している。ボンと拡大する突然性こそ、現代科学の知性の特徴だという。しかし、だからといって、同様の体験をすれば幸せになるとも限らない。ハミルトンは目が回って橋から落ちそうになったし、エルデシュは気を遣うためにカフェインでは効かなくなり思いのほか早世した。研究は激甚化するものでない。簡単に楽しみ、歩きながら嗜むていど、ちょうど、昼間を歩きつつ端末にメモして陽の暖かさに微笑するくらいが、幸せ度がちょうど良い。哲学者は無知への収監を苦しみ、数学者は自身の心と気持ちを失い、科学者は自我も彼我も消され、文学者は不幸にも誰も救えない職業なのだ。ゆめゆめ前後の通行者には気をつけたまへ。

【し捏ねる】し-こ-ねる

人生には挫りがいる。青春の時に、し損なった野望、子供時代に愚かにも、し討った恥ずかしい瑣事。結婚前後にして遣った契約。人間関係は今生の別れにならない限り、相互に作用しているものだし、死別したとて天地の距離だけ作用が続くものである。

し損なう、という語尾動詞は、動詞と連結させて活用されてきた。渡し損なう、埋め損なう、忘れ損なう、など。すなわち、名詞としても流通している。書き損じ、信じ損、読み損て。人生で後悔する行為が如何したって多く発生するものだから、活用例も半端なく増殖する。

後悔を宥和する方法が、泣くことであると私は思う。涙には緊張をほぐす効果があるとされる。泣くには想起と構想が必要で、後悔ではその両者が興奮なしに起きる。つまり、し損なった、と思い得るには、行為した記憶を捏ねる必要がある。捏ね繰り回して初めて、その体験から意味を抽出できるのだ。

今朝も私は常温の水を飲む。珈琲杯把に入れ得る成分は決まっているため、洗浄は滅多にしない。今日は日曜、礼拝日だ。今、書斎で今週の記憶を整理しているが、後悔を淹れ得る成分が摘み取れない。どうやら私の今週は、生地を醗酵し捏ねた1週間だったことになる。血の味がないも同然の液体で、盃を満たして過ごせた1週間だったわけだ。

【見言葉】みことば

書き言葉・読み言葉 に対し、見る言葉。すなわち、読み書く過程を経ない言葉の一側面。

外国人が街に溢れている理由として屢々揶揄されるのが、経済的な安寧である。百々のつまり、私の今月の出費は18万円弱だったのに、私史上最も多くの物財を購入したのである。その肚には、良品を安価に選択する知恵を研究し得たことが大きく、情報知識社会を自由に遊泳できた時代の賜物であった。

今や、外国人にとって、この日本に訪れる上で、経済性は障壁になり得ない。では、何が滞在動機を阻み、滞在時間を短縮させるのか。料理ではない。食材でも商材でもない。人情の可能性はあるが、歴史を踏まえた上で来訪する心得が、電子現実両界で流通しているようだ。私が思うのは、文字である。

言語は別に、辞書なしで撮訳できるし、普段から黙読しているのだから、すでに読む過程を踏まずとも意味が取れ、解釈もでき、空気の流れさえ透察できる力を備えた人は国内外にとても多くいるだろう。私とて、読書の際に読むという行為を経ずに多くの文献を読んで書いている。その時の「読む」は明らかに、すでに「見る」に変質している。

漢字や図字だけでなく、あらゆる文字情報が読まれるものでなくなってしまった。すでに「見る」さえ過ぎて先端感覚で感受するものになっているとも思われる。記号のこの感覚性が、科学を構築しうる才能の秘技であり、この時代やそれ以降に確実になった学習の人間的弱みである。やはり、人間は部屋から出ようが、悲惨であることからまだ逃れられていない。

【自縛・縛破】じばく・ばくは

日本語には、俗語や方言が多様に存在し、今も日々営々と産み出されている。これは、私たち日本人が繊細な感性を持って日々生きている、という考察では足りない、何か奥深い性質があるように思われる。例えば、地理的な閉鎖性、気候の循環的不安定性、災害の突発性、そういった外的要因だけ鑑みても、自分の気持ちや気分を時代の流れに即して表さなければ生き延びられようもない、という切迫をおそらく誰しも抱えて暮らしているのがこの日本列島であろう。かつて北欧で分析され尽くした絶望に似ているかもしれない。

特に近代文化が入って以降、日本では特に知識人や文化人の間で自死が流行した。生活の情報通信化が進むに従って、苦境に陥った無産者や、逆に富を持て余した傲慢な人、はたまた恋の非成就や学校内の不和だけでも、自死を選択する愚者が減らなかった。やはり彼彼女らは、自分の命を自分で賭すことで、静かな訴えを周りに起こしたいがためであり、その訴えをおそらく自分で現実に確認したくなかったのである。要するに無責任である。罪を免れるはずがない。

実際に爆薬で無辜の人を殺めるより、被害は少ないのかもしれない。自縛という語は、霊に纏わって使われていた。しかし、首を括る行為は、押し並べて、その後少なくない人々の束縛を破る世相に発展するため、特に生き残って括った意味を語り継ぐ人は英雄性を帯びることがある。だから、縛破という語も存在して良いと私は思う。自分の罪さえ破り清めた時、本当に束縛から自由になるのだろうから。

隠語は自分の命だけでなく、社会の秘密も守る。そう騒がないほうが、何があろうと人のためになる。情報通信社会はやや騒ぎすぎなきらいがあった。これからは穏やかな報道と爽やかな出版が求められると私は読んでいる。鳥の鳴き声が変わったことを追跡調査するなら、報道担当の性別に関わりなく、役割として好感が持てるし、朝目覚めの良い内容になると思う。啼鳥を至る所に聞いた詩人の朝のように。

【管機・呼機・差機】かんき・こき・さき

懸案の予想が解けると分かったのは私は正直に言えば株価反転も始まった頃だった。当時の通痛垢に謹慎した彼の方が不謹慎な私なんかより遥かによいと書いたのは、決して善とは書けなかったから。ただ、確かめに行ったわけでない、だけど確かめに行き事情を聞いて和解しておくべきだったと、その後数年経験して切実に思っているこの頃である。

それ以来、まず健康にならなくては話もできないと思い、鯖缶や鰯缶で麺を固定し、体調実験を始めた。計測記録は未公開含めて実に十年分。頭を名実ともに強くしたいと思い、鮭の中骨缶もよく買って食したが、感染症禍の頃から安くなくなり、鯖缶と鰯缶に戻ってきた。

server は栄養のある缶に準えられて来たので、カンを採って管機とはどうだろう。また、client は従業員の叫びを採って呼機はどうだろう。その情報差をとるのだから、network devices には差機はどうだろう。漢字二字で済ませられるし、早口で話しても母音と区切りを明瞭に分けたから、聞き取りやすいと思う。

今となっては、あの著者名にしてくださった理由が結局その遠隔性にあったのだと何より深く納得し、買って食べるべき缶を私は完全に間違えた。則ち、牡蠣缶である。確かめていないが、橄欖油漬は珈琲豆店に売っていた。瓶詰も小売店で見たことがある。ちかぢか訪問に巡ると決めているから、土産に幾つも買っておきたい。各地はどこも口に合う名産品の有名なところだから。

【弟起師走】てたちしはす

物事が大きく動く前兆.

12年前の師走のことでした.新卒で働いていた頃、修士出だったので、若い頃に志した研究主題で博士に行くと決め、これと思う研究室まで一度見学しに行き、翌日職場を辞め、翌週願書を出しました.腹積りは極まっていました.用意していた未発表の実績一覧と研究計画を提出しました.教授は不在でお会いすることはありませんでしたが、見事、合格の通知が届きました.

勇んで引っ越しを済ませ、生活を整えていると、大学まで呼び出されたので、急々と向かうと、なんと合格取消の手続きを済ませられました.なんでも、要綱に記されていた通り、TOEICの試験が必須だったのですが、わたしの提出した試験種別はIPで、注意書きにIPは無効、と米印で小さく釈っていたのです.わたしは一行飛ばしたのでした.

その後、研究実績が未発表であったことから、これをもって起業しようと奔走しました.半分自棄でした.当然、焦りと憔悴で途絶し、社会から一旦退場し、受洗、結婚、転居、主夫と行路は進んでいったのでした.それはそれで満額の幸せでしたし、強度は穏やかになったといえ、それは今も続いています.

しかし、思うのです.教授はじめ、研究室の皆様、大学事務員の方々、あるいは大学関係者の方々こそ、大いに奔走させてしまったのではないかと.わたしはその教授の本で大いに学んだので、実際に教えを乞うつもりでしたが、わたしは師を走らせてしまったようでした.そういえば、合格取消の日、最後に書類を手渡しくださり、丁重な礼を以て帰してくださった大学院生は、今年までに書籍を幾冊も出版し、動画にも出演していたので、わたしはそのお名前にすぐ判応したとともに、この人こそ、教授の本当の弟子だったのだ、と心底納得したのでした.

【頻々】ちょくちょく

大学生になっても、高校生の頃の刺激が捨てがたく、深夜の渋谷に頻々ちょくちょく繰り出し、宮下公園で家や身寄のない人たちと過ごしていた。余りに頻繁だったため、講義の定期試験の日に寝過ごし、単位を落とすことも初中しょっちゅうだった。特にドイツ語は3回落第したため、社会人になって「私はドイツ語を4年間履修しました」と如為どや顔で語らっている。

「歩」というつくりは、進捗の「捗」では「チョク」とむが、「渉」は「ショウ」であるし、瀕死の「瀕」は「ヒン」であり、元の「ホ・ブ・フ」を含め、あまり規則性がない。そこで、「捗」から訓みを借りてきて、「頻」を「チョク」と訓んだところで違和感はない。むしろ自然なくらいだ。

「ちょくちょく」という語には「ちょいちょい」と訛る形が存在しており、「たびたび」や、より丁寧には「おりおり」とた言葉だ。漢字が充たっていない。何れも「何度も繰り返す」という意味だから、頻繁の「頻」を充てても意味は通るだろう。

未明の渋谷では長く歩いた。雨天でも深夜営業している量販店で、あまい瓶酒を軽く買って公園で干したりした。健康に目覚めた今ではそんな真似はできないが、当時の光景がしきりに思い出され眠れない夜がある。

【別欄】べつらん

別欄・・ベランダ

高校生の頃、建築が好きだった。街が好きだというのもあるが、それ以上に建物の幾何学的形態に関心があった。建物を訪れ、その中に入れればよいが、建築雑誌に載るような住宅や地方公共空間では、いつもそうはできない。したがって、その建物の図面を見て想像することになる。

その癖で、住宅の間取り図が好きだ。郵便受けに広告が入っていると、まず間取り図を目で探す。今住んでいるのは妻が選んだ集合住宅だ。2人で住んで10年になる。最高の間取りだと今でも思う。高校生の頃は建築家に設計してもらいたいとぼんやり考えていたが、懐にそんな余裕はない。

間取り図でいつもでっぱる場所がある。ベランダだ。上下の階からも離れて造られる、三方から独立した空間。住宅の中でも特殊な空間である。ベランダの由来はポルトガル語で、ヒンディー語に伝わった語彙らしい。英語では屋根のある場合をベランダ、ない場合をバルコニーという。

間取り図の欄でも実空間でも別注の空間。そんな意味でベランダを「別欄」と音訳してよいのではと思う。由来を訊かれたら間取り図を思い出してもらえば、と言おう。

【動段・動室】どうだん・どうしつ

動段・・エスカレーター
動室・・エレベーター

社会人として10年以上経験した40歳手前の私だが、いまだに区別ができない言葉がある。エスカレーターとエレベーターだ。いつも勘違える。「エスカレート」も「エレベート」も上がっていく像が貼り付いた語なので、いったい2者を区別できる特徴は何なのかと考えてしまう。

考えれば何らかの答えが得られるものだ。私の答えは「動く階段」か「動く部屋」かだ。動く方向がはす向きか上下かという違いもあるが、本質は階段と部屋だと考えれば区別しやすい。しかしはたと気づくのだ。ではどちらがエスカレーターでエレベーターなのか。

いっそ漢語にしてしまいたい。エスカレーターすなわち動く階段は「動段」、もう一方のエレベーターないし動く部屋は「動室」。そう言ってしまえばいいのだ。発音の際は、強勢がないように、高低をなくす。「どーだん」「どーしつ」と仄平のっぺりした発音になる。

しかし、科学技術の現代である。動く公共空間なんてこれからどんどん種類が増えていくことは容易に見える。すでに水平方向に動く歩道や、単線のモノレールがわが街には存在している。そうであれば、前者は「動路」、後者は「動軌」と言ったらいい。「どーろ」「どーき」と仄平りと発音すれば、同音異義語と区別できる。

ということで、私の個人的混乱から生まれてしまった単語たち。私と同じような間違いを犯す人が多ければ、という前提であるが、もしエスカレーターはエスカレーター、エレベーターは明らかにエレベーターだよ、と多数派になじられたら、需要がないことが証明される。没案路線である。

【甚い】いた-い

他人から見て恥ずかしくなるような行動や言動を犯しても、気づかずに笑っているような人の様子。場違いなことをしても、その場の空気を読めずに、ずれたことしてしまう様子。

――平成の若者言葉

甚い人は、いる。ほかならぬ私がそんな人のひとりだった。今でもときどき甚いことをしてしまう。私が甚いと感じることができたのは、自分のほかに甚い人を見かけたからだ。

彼は電車に乗るや否や、窓側に急いで走って立ち、歌いだした。昭和時代に流行した曲のようだが、古くて知らないしわからない。そして、足を団々どんどんと鳴らし、踊りだしたのだ。そう、この電車は休日の旅客列車、田舎の山を車窓に見ていた旅の風情はぶちこわしだ。彼は温泉宿で有名な駅で浮々うきうきと降りて行った。歌ったまま、その旋律に乗りながら。

あまりにも空気を読めない、読めなすぎる。too much.

度が過ぎていることが、[いた-い] の本質ではないだろうか。空気を読めないとは、周囲から見て普通でないほど恥ずかしく感じる様子、つまり度が過ぎて異なっている様子だろう。ということで、ふさわしい漢字が存在する。「甚だ(はなは-だ)」「甚く(いた-く)」で使う「甚」である。

「甚く」とは、程度が激しいことを意味する語だ。度が過ぎている様子を表す語として、みの語呂までちょうどよく、ぴったりだ。

電車で踊って降りた彼は甚かった。彼は甚だ普通から異なった珍しい性格だった。その珍しさは才能さえ感じさせた。そんな意味にもなる感じがする。

漢語をつくろう。

日常が言葉で溢れている。にもかかわらず、言葉にならない感じを誰もが抱えている。
平・片仮名4文字の言葉は今も無尽蔵に生まれているのに、漢字の新語は殆ど出ない。
なぜだろう。もっと漢字を使って言葉を作っていったっていいじゃないか。

漢字が新語に使われない理由は、確かに推測がつく。
例えば「誰何」という語を使ったとする。読みは「すいか」だ。
お化け屋敷で「突然の暗闇に思わず誰何した。」のように使う。

「すいかした」と聞けば、関東圏の人は「夜に改札でも通ったのか」と思うだろう、
国内の他の地域の人なら「夜食に食べたくなったのね」とでも感じるだろう。
語が知られていないために、音読みが文字に結びつかないとき、意味不明になるのだ。

そんな障壁はあれど、漢字を使った新しい言葉がもっと誕生してよいはずだ。
かの谷崎潤一郎は、新語を無暗むやみに作るべきでないと「文章読本」で述べていたが、
それから1世紀、新語は毎年くようにできている、殆どが平・片仮名を使って。

この部録では、漢字を中心に使って言葉を作り出す。辞書に載っていない語である。
時には新しく訓を当て、新たな組み合わせの語を作り、字そのものを作り出すこともある。
その言葉は、ここで生まれ、この活字と電子の世界をどこまで行き渡るだろうか。

この部録の活動に賛同いただける方がもしいらっしゃったら、どうぞご活動ください。
記事にひとこと書き残してくださってもいいですし、連絡をいただいてもかまいません。
百年後の日本、いや世界が、今世紀に作られた漢語をもとに、
より豊饒な表現を生むことを期待しています。日本語にはそれができます。

令和西周