【俳昼】はいちゅう

思いついたことをメモしながら歩くこと

文化から免れて生きることが難しくなったのは、文化で耕し続けなくてはならない時代になったからである。中世以前は、聖書にただ聞き従って生きるので十分だった。聖書を知らなくても、知らないままに自由に暮らせた。ただ、聖書は記号的であるため、意味が把りにくいうえ、一意に定まりにくいことを、ダヴィンチ以降ニーチェにかけてから、欧州は痛むほど知ることになった。その余りの象徴群集が有無を言わさぬ暗号性をあらわにしてしまえるため、これから文化の意味や役割が、大きく変転すると思う。最高の価値が転覆し、辺境の文化が珍重される。というのは、記号の解読表を残した哲学書に沿って生成知能が象徴文化の文脈暗号を解読することなど、数通り生成するのでさえ容易だからである。

有名なところでは、ゴールドベルク変奏曲がマタイ福音書と対応関係にあることである。ベルクは山である。今でさえ変奏曲だが、移り変わりであると読むと、山々の四季の一周、すなわち聖書の文脈から言っても、ある福音書の始まりと終わりの繰り返し、と読むことができる。実際、アリアがマタイ4章に、最後まで行った後のクオドリべがマタイ1章に、最終アリアがマタイ4:11までで終わる。クオドリべとはクワッド(4つの)ブリーべ(聖書)であることや、クオドリべのエンドロール感も、納得のいく出来で、バッハの音楽性に人為作為性が欠片も無く思えるのは、バッハの全曲が聖書の記号翻訳という手法のみによって成り立っていたことによる。人間性を排し、聖書を器官で響かせるための讃美歌なのである。

俳句という言葉にも、似た記号的意味がある。芭蕉は歩いて詠んだわけだが、能の古歌のように「〜のぉ〜」という「の接性」を徹排したゆえに、徘徊の徘からノを排して俳句と称したのである。もちろん、詩であり、すなわち人間性を排すのであるから、俳なのである。また、座り屈んだ体躯の意だという包構に、言葉の出口である口を内蔵したのだから句なのである。つまり、バッハの作曲法は、俳句性があり、いな、逆に、俳句はバッハの作法を借景した文化だと言っていいだろう。

ポアンカレが歩きながら考えた理由が、なぜカントがケーニヒスベルクの橋を毎日定時に歩いていたのに飽きなかったか、を現地を歩いて考えていたら理由がわかったからだそうで、その視野を科学四書に残している。ボンと拡大する突然性こそ、現代科学の知性の特徴だという。しかし、だからといって、同様の体験をすれば幸せになるとも限らない。ハミルトンは目が回って橋から落ちそうになったし、エルデシュは気を遣うためにカフェインでは効かなくなり思いのほか早世した。研究は激甚化するものでない。簡単に楽しみ、歩きながら嗜むていど、ちょうど、昼間を歩きつつ端末にメモして陽の暖かさに微笑するくらいが、幸せ度がちょうど良い。哲学者は無知への収監を苦しみ、数学者は自身の心と気持ちを失い、科学者は自我も彼我も消され、文学者は不幸にも誰も救えない職業なのだ。ゆめゆめ前後の通行者には気をつけたまへ。

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